遠くない未来、AIと共生する社会とは?
コゴナダが提示する優しくも切ないアンドロイドの記憶を巡る旅。
映画『アフター・ヤン』に用いられたアイクラー・ホームが演出する穏やかな空間。
フィリップ・K・ディックが来るべきアンドロイドのいる未来を描いた「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が出版されたのは1968年。
自然界が生み出した生き物は絶滅の危機に瀕していて、最新技術で精巧に模した機械仕掛けの代替品で人間は慰めを得ている。
その一方で、本人が自覚できないほど精巧なアンドロイドに関しては、まるで人類と同じ夢を見たことをとがめられるかのように、人類から容赦なく狩られていく――この小説に発想を得たリドリー・スコットの『ブレードランナー』の1982年の公開から40年、幸いなことに人類はアンドロイドを駆逐することも、その逆に駆逐される事態もまだ起きていない。もっともあと数年したら、AI(artificial intelligence/人工知能)が我々人類の居場所や仕事を奪うかも、という危機感は喧伝されているけれども。
いや、私たちとアンドロイドとの未来はもう少し、優しく緩やかな関係性を築いているのではないか、美しい映像でそう提示をするのが韓国系アメリカ人、コゴナダによる『アフター・ヤン』である。
時代設定は少し先の未来。自動車は完全にオートメーション化されているが、人の日々の営みや家庭の在りようは2022年現在とそう変わらない。大きな違いは、各家庭にテクノサピエンスと呼ばれるベビーシッター・ロボットがいることである。
コリン・ファース演じる主人公、ジェイクの家にもヤンという中国人のアイデンティをプログラムされたテクノサビエンスがいる。ジェイクと妻カイラは中国系のミカを養女にしたことから、彼女のルーツを重要視し、文化的なバックグラウンドを共有できるためにヤンを購入した。ヤンは穏やかで、知識も豊富に持ち合わし、家族にとってはならぬ存在だ。だからこそ、ある日、突然、ヤンが起動しなくなったことでジェイクたちの一家に大きな波風が立つことになる。
ミカにとって、ヤンはほぼ兄と同じ存在である。忙しい両親の代わりという以上に、学校でときにアジア系であること、そして養女であることで差別的な眼差しを受けた際のネガティブな感情を、ヤンが細やかな配慮で受け止め、フォローする描写が何度も出てくる。一方、カイラにとってヤンはあくまでもベビーシッターであり、娘と夫が彼にかなり依存している状況にうっすらと危機感を抱いていて、この際、子育てを自分たちの手に取り戻すべきだと考えている。ジェイクはカイラほどドライに割り切れずにいる。そこには金銭的にかなり無理をしてヤンを購入したという身も蓋もない経済的な理由も潜んでいて、現代の大人には少なからず共感する部分でもあるだろう。
監督のコゴナダは、アレクサンダー・ワインスタインによる同名の短編に豊かな枝葉をつけて、なんとかヤンの再起動を試みるジェイクの奮闘ぶりを展開していく。
その過程で深堀りされていくのが、高度なAIを搭載したヤンが一日過ごした中で数秒だけ、この出来事だけは消去しないと選択して残った映像が蓄積されていたという意味についてである。
ジェイクは正規の方法ではヤンの修理は難しいことを知り、様々な違法行為をして、ヤンの記憶装置に残された過去の日々の記録にアクセスしていくのだが、そのほとんどが家の中での家族の光景であることに胸を突かれる。幸せという感覚はわかりません、とまで言い切っていたロボットであるが、ヤンの眼差しを通して残された日常の些細な風景の愛おしいこと。
いや、ヤンが愛おしいと思って残したかどうかはわからない。だが、映像の受け手にはヤンにはやはり愛情という感情があったのではないか、と誤認してしまうような風景に見えてくる。それがたとえ、洗濯機周りのなんてことはないコーナーであっても。
ヤンの見つめた風景が特別なものに思えるのには、コゴナダのチョイスした建築物にも秘密がある。
長編デビュー作『コロンビア』ではモダニズム建築の宝庫として知られるインディアナ州のコロンビアを舞台に、建築学者である父親にわだかまりを抱いている男性と、建築学に強い興味、関心を抱きながら薬物依存症の母親のケアに明け暮れ、将来が見えない女性との出会いを描いていた彼。
今作ではジェイクの家に、ミッドセンチュリーの建て売り住宅として人気を博したハウスメーカー「アイクラー・ホーム」の東海岸に現存する家をチョイスして、家族にとっての居心地のいい空間を演出する。
アイクラー・ホームとはアメリカの住宅建設業者ジョーゼフ・アイクラーが1940年代から70年代にかけて手がけたポスト&ビーム(支柱と梁)構造の平屋の邸宅のこと。公道などパブリックスペースに対しては塀を設け、閉鎖されている一方、プライベートエリアに対してはガラスを多用して開かれた空間を作っていて、特にアトリウムと呼ばれる中庭をぐるりと囲むようにプライベートな部屋が配置された構造が特徴的だ。
映画では赤い軒のフレームが差し色として魅力的に生えているが、このタイプはおそらく1969年にThe Architecture Firm Awardを受賞している建築家、クインシー・ジョーンズの設計ではないだろうか。
コゴナダはもうひとつこの映画に、原作にはない重要なエッセンスを付け加えている。それはジェイクの職業を中国茶のブレンダーとしていることだ。ジェイク、カレン、ミキはそれぞれルーツとなる場所と文化は異なるが、今は一つの家族として調和の取れた生活を目指している。彼らがヤンと共に過ごす社会ではアンドロイドだけでなく、クローンとして生まれた人々も共に暮らす共同体として描かれている。ジェイクが日々、深く思考し、丁寧に模索しているのは違った場所からやってきた風味、匂いの違う茶葉を組み合わせ、新しく刺激的な味をブレンドすること。違う個性の組み合わせを思考する精神が、近い将来、AIやアンドロイドと同じ目線で過ごすことになるかもしれない人類の未来に対して、不安だけでなく、仄かな優しさや温かさをもたらす指針になるだろう。
映画ジャーナリスト 金原由佳
“テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭に普及したそう遠くない未来。茶葉の販売店を営むジェイク・フラミングは、妻のカイラ、中国系の養女ミカと慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかし、ミカのために招き入れていたベビーシッター・ロボットのヤンがある日、突然、シャットダウンしてしまう。ヤンを兄のように慕っていたミカはショックを受け、元に戻してほしいと訴えるが……。
ヤンの体内のメモリバンクに残された映像が映し出すものは? そして「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とフィリップ・K・ディックが人類に投げかけた問いに答えるものとしてコゴナダの提示するAIと共生する世界とは? 坂本龍一のオリジナル・テーマ「Memory Bank」をAska Matsumiyaがアレンジし、岩井俊二監督作品『リリイ・シュシュのすべて』の「グライド」を歌い、注目されたMitskiが新バージョンで歌う曲も話題となっている。
脚本・監督:コゴナダ 出演:コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、ジョディ・ターナー=スミス、ヘイリー・ルー・リチャードソンほか。
2022年製作/96分/G/アメリカ
原題:After Yang 配給:キノフィルムズ
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10月21日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか、全国にてロードショー公開
‣公式ホームページ:https://www.after-yang.jp/
・劇場情報ページ:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=AfterYang
金原由佳 PROFILE
映画ジャーナリスト。関西学院大学経済学部卒業後、金融の営業職を経て、映画業界へ。これまで2000人以上の映画人のインタビューを実施、キネマ旬報社発行の『アクターズ・ファイル』では、浅野忠信、妻夫木聡、永瀬正敏のロングインタビューを担当。著書に、映画における少女と暴力性を考察した『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』(フィルムアート社)、共著に日本映画黄金期の映画美術を検証した『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーネットワーク)。昨年、没後20年を迎えた相米慎二に関する共著、編集参加として『相米慎二 最低な日々』(ライスプレス)、『相米慎二という未来』(東京ニュース通信社)など。去る9月にリリースされた相米監督の『光る女デジタルリマスター修正版』Blu-rayでは、ブックレットをディレクションした。 現在、『キネマ旬報』ほかの映画雑誌、朝日新聞、『母の友』(福音館書店)、LEEウェブ版で映画評を執筆。